p23・24 12 鳥居良庵さん
<『さいお』春日井市立西尾小学校開校100周年記念ハンドブック>
鳥居松小学校のすぐ北に、鳥居クリニックという病院があります。この病院を、この地に開業した人が鳥居良庵です。『春日井の散歩道』(平成15年、春日井郷土史研究会)を見ると、安政2年(1855年)に内津村で漢方医を開業していましたが、内津村で大火にあったことをきっかけにして今の土地に移って来た、と書いてあます。
鳥居松の鳥居さんてすので、地名と何か関係があるように一時言われていたようですが、それは偶然のようてす。鳥居松の地名は 『尾張徇行記』(樋口好古)にすでに載っています。発行された文政5年は1822 年になりますので、時代がだいぶさかのぼってしまうわけです。
さて、鳥居良庵さんについては、もうーつはっきりしないことがあります。それは、内津村から鳥居松村に移ったのがいつなのか、ということです。
『春日井の散歩道』では、幕末となっています。しかし『さかした』には、明治になると、人力車が内津の宿にいち早くあらわれ、この人力車をよく利用していたのが鳥居さんだったといわれている、というエピソードが載っています。そして、鳥居病院にお勤めになっている片山さんという方にお話をうかがったところ、明治33年(1900年)に、内津で火事があって焼け出されたために、ます坂下に移り、そして、その後現在の鳥居松に落ち着いた、と聞いているということです。こうなると、幕末で はなく、明治になってからと考える方が妥当のように思えます。
さらに、内津町に在住してみえる小粟邦雄さん(内々神社の 氏子)から、幕末から明治初頭のものと思われる内津村の地図を見せていただいたところ「鳥居宅」の文字があることかわかりました。この鳥居さんが良庵さんのことであれは。少なくとも幕末まてに内津村にいたことがわかります。
そして、『春日井市史』に、幕末から明治初年にかけて春日井地域に存在した寺子屋の一覧が載っていて、そのなかに島居良安という名前で内津村で寺子屋を開いていた(天保12年<1841年>開業、明治元年<1868年>廃業)ことになっています。「庵」と「安」で文字違いですが、同一人物ということがわかています。また、『春日井市医師会50周年記念誌』(春日井市医師会、平成10年)を見ると、明治9年(1876年)の種痘済証に「内津種痘医鳥居良安」とあることが紹介されています。ただ、この後、いつまで内津村に住んでいたのか、特定するのに決め手に欠けます。 1900年のときに少なくとも70歳半ばから 80 歳ということになるでしよう。そうすると、かなりの高齢になってから鳥居松に移ったことになります。。もっとも.跡継きの方かいれは可能ですが残念なことに、現在の鳥居病院で詳しいことはわからないということです。そして、当時、内津には、『春日井の散歩道』によると猪飼というお医者さん(鳥居良庵さんのお弟子さんか?)がいたことがわかっており、この人と間違えて伝承されている可能性もあります。
残念ながらこの鳥居良庵という人は『春日井市史』にも『春日井の人物』(平成7年、春日井郷土史研究会)にも取り上けられて いません。今後の研究に期待したいと思います。